さいゆーきの日々徒然。

ただ思ったことを書いてくだけです。

アルジャーノンに花束を

ダニエル・キイス

アルジャーノンに花束を

を最近読んだので感想書きたいと思います!笑

 

この本は世界的にも評価されている作品であり、1960年にヒューゴー賞短編小説部門、長編化された後1967年にネビュラ賞を受賞しています。

 

正直、僕は最近まで山Pがドラマしてたくらいしか知りませんでした。笑

ですが、このことを知って気になったため読んでみました!

 

内容をざっくり書きます。

主人公は32歳になっても幼児並みの知能しか持たないチャーリィ・ゴードン。

そんな彼にビークマン大学の先生たちが頭をよくする手術をしてくれるといいます。

チャーリィは白ネズミのアルジャーノンを競争相手に検査を行い、やがて手術によって知能を向上させていきます。

頭の良くなったチャーリィは今までわからなかった物事を理解できるようになったことで、愛や憎しみなど、人間自体の理解も共に深めていくのです。

 

僕はこの作品をハヤカワ文庫の小尾芙佐さんの訳で読みました。

ダニエルキイスの原作ではチャーリィの知能を表すために英語の綴りや文法がめちゃくちゃに記されているそうです。

日本語訳では、ここの表現をひらがなや漢字、テニヲハを工夫することによって世界観を崩すことなく翻訳されており、とてもびっくりしました!笑

 

この作品読み終えてはじめに思ったこと。

それは

 

「タイトルのセンス良すぎ!!!」

 

というところです。笑

知能が欲しくて賢くなったチャーリィは皮肉なことに、知識によって苦しめられてしまうのです。

 

知識を増やしていくチャーリィに対してキニアン先生が言った言葉に次のようなものがあります。

「学問の様々な分野がいかに関連しあっているかがわかるようになる。

巨大な梯子の段々のように、それぞれの段階で。あなたがそれを一段ずつ登っていくにつれて、まわりの世界がもっともっとひらけてゆくのよ」(P.129)

 

この例えすごくわかりやすく、イメージしやすいですよね。

でも、その梯子から見える世界はチャーリィにとって決して美しいものばかりじゃなかったのです。

 

「周りが笑っている。だから、周りは僕といて楽しいんだ。仲良しなんだ。」

知能が上がるにつれてチャーリィはそのような笑いの裏に隠れた心情を読み取ることができるようになってしまいます。

 

そして、知能が大人になっても心はその成長に追いついていません。

ここで、彼は孤独を知るのです。

そんな中で唯一の仲間と言えたのはネズミのアルジャーノンだったのでしょう。

 

そして、物語終盤。

アルジャーノンを見ながら、苦しんでいくチャーリィの姿は本当に辛い気持ちになりました。

 

僕は、知識は物事の側面を補うことでより楽しみを増やしていくものだと考え、意欲的に取り入れるようにしてきました。

しかし、それが必ずしもいいことではないと本書ではたくさん書かれています。

 

「知識を得ることができれば幸福を得られるとは限らない」

「他人に対して思いやりを持つ能力がなければ、そんな知識など空しいものです」

 

特に、胸に刺さったのは次の2つ。

 

「あんたがたの大学では、知能や教育や知識が、偉大な偶像になっている」(P.363)

「金や物を与える人間は大勢いますが、時間と愛情を与える人間は数少ないのです」(P.337)

 

前者。その通り。

頭いい人は偉い人。そんな認識ありますよね。

物知りに憧れていた僕は、後ろから殴られたかのような衝撃をくらいました。笑

 

後者。その通り。

人は利益ばかり考えて、人に寄り添おうという気持ちはやはりどこか足りないのかもしれないと感じました。

 

そして、最後に考えさせられた言葉を1つ。

 

「特別という用語は授けられたものと奪われたものという忌まわしいレッテルを避けるために用いられる民主的用語」(P.232)

 

特別ってなんだか少しいい意味だと思っていましたが、必ずしもそうじゃないんだなと感じました。

今後、ごまかしの民主的用語って何があるか少し考えていきたいと思います。

 

 

世界の見え方は知識によって異なり、綺麗な世界も汚い世界も運んでくる。

そして、他人に対する思いやりを持たないとそんな知識は役に立たない。

それを強く感じた本でした。

 

とても長くなってしまいましたが、世界的な名著、ぜひ読んでみてください!